早期退職後に通っている大学での哲学の前期試験で尊厳死について論述したことを整理してみた。
医療が発達した現代社会では、医療措置がかえって患者や家族の苦しみを増加させる場合があるとされ、尊厳死(安楽死)の是非が問われている。
この点、哲学者のプラトンは刑死のような場合を除いて自殺を否定するのに対し、ストア派のセネカは、慢性的な苦痛を伴う病気による場合など尊厳死に近い場合について自殺が容認されるケースとして挙げている。
そして現在でも世界には尊厳死(安楽死)を制度化しているオランダ、ベルギー、スイスなどの国もある。
しかし、私見では尊厳死は、個人の自己決定権に基づき積極的に死を求めるというもので、善く生きる為に死から生の意味を考えるという現代の思想とは正反対の思想になり、以下に述べるように多くの問題がある。
まず、現代医療では、緩和医療が発達しており、ストア派が想定していたと思われる耐えがたい苦痛を緩和するための尊厳死が問題となる範囲は狭まっている。これらの苦痛は死によってのみ解決されるものなのかが問われるだろう。苦しまずに合法的に死ねる選択肢が用意されていることで人々が安楽な死に走る結果とならないだろうか。代替治療、技術の発展を阻害することにならないかも問われるだろう。