先日、平日の昼間に眼科を受診した際に見た、我先と順番を争い、クレームをつけている年配者の様子を見て、「歳をとると理性が弱くなるのか」という題目で ブログを投稿した。
その後、たまたま大学の図書館で「老年と正義」(瀬口昌久著 名古屋大学出版会)という本が目に入って読んで見ると、古代ギリシャの時代から老年がテーマになっていることが分かった。
例えば著名な哲学者であるアリストテレスの「弁論術」という本には、老年期の性格として以下のような記述がある。
1 態度
①確言を避ける→これまで多くの失敗や悪い経験を重ねているので、いつも「おそらく」「たぶん」という言葉を付け足す。
②全てを悪い方向へ歪めて解釈する。
③猜疑心が強い。
④心が狭い→生活のため卑屈になっており、生活に必要なことだけを欲望の対象とする。
⑤臆病である。
⑥生への執着心が強い→欲望はもう手許にないものを求める。
⑦恥知らずである→他人にどう思われるか気にかけない。
2 感情と欲望
①憤りは燃えやすいが力がない。
②欲望は弱い。
3 行動
①過去に生きる→希望よりも過去の記憶に生きるようになり、過去には饒舌になる。
②欲望のまま行動することはない。
③憐れみを感じやすい。
④よく愚痴をこぼし、洒落や笑いを好まない。
かなり、厳しい指摘が多い。アリストテレスの老年論は、「よき老年を送るとは、老齢が苦痛なく進むことである。」というもので、若い時代になかった新たな可能性が開ける老年ではなく、運に恵まれ、老化による身体の苦痛や障害が少ないという消極的なものとして位置付けられている。
他方で哲学者プラトンは、「老年になっても多くのことを学ぶことができる」(国家論)とし、年長者の経験に基づく思慮を重要視し、75歳に至るまで(当時で言えば相当高齢)国家の重要な役職に就くことを認めている。老いても旺盛な知的好奇心を失うことなく、常に新たな学びを愛し人々との哲学的問答に明け暮れた師のソクラテスの姿がプラトンの老年像の中核になっていると思われる。
どうも老年をよく生きることは古代ギリシャの時代から議論されてきた普遍的なテーマのようである。少なくとも、自分の利益と生のみに執着して生きることは、アリストテレスが批判的に描いた老年像につながるもので避けなければならない。プラトンやソクラテスのいう魂への配慮は、若い時期だけでなく、一生必要とされていると感じた。