早期退職後に通い始めた大学では、古代ギリシアから始まり、近代(17世紀)に入ったあたりの哲学を学んでいる。
この時代の哲学に必ずといってよいほど出てくるのが「神」の存在である。
私は、別に信じている宗教はないので、「神」の存在やその意義を考えたりする機会は余りなかった。
哲学を学び始めて2ヶ月が経ち、今では、近代までの社会において「神」は基本的な価値観を示すもので、重要な概念であるという認識に変わってきている。
今日の授業で出てきたライプニッツ(1646〜1716)の哲学においても、全能の「神」が最善の世界を創造したとか、「神」が世界の構成単位であるモナドの対応関係をあらかじめ定め、調和的に秩序づけているという説明がなされた。
現代の我々からすると、「神」というと、何かうさんくさい感じがするかもしれないが、このような社会の共通規範があることは、社会を安定させ、ひいては個人の尊厳を尊重する意識も生まれる。例えばライプニッツは、どれ一つ同じでない無数のモナド(この世界を成り立たせている構成単位)が、一つ一つのかけがえのない生命を構成しているとしており、具体的な個人の尊厳につながる思考をしている。
ところが、現代では「神」のような共通の規範は失われつつある。
著名な哲学者であるニーチェ(1844〜1900)の有名な言葉に「神は死んだ」というのがあるが、そこには、「神」のような共通の規範がなくなり、権力意識をむき出しにして互いが意見を主張し合うような世界観が描かれているように思える。
そのような世界においては、当然ながら互いを尊重することが難しく、個々の人の生は希薄化していくことになる。その後ニーチェの思想がナチスドイツに都合よく利用された歴史がそのことを示しているように思う。
早期退職後に哲学を学び始めて「神」に対する意識が大きく変わった。