私は、早期退職後、近所の大学に聴講生として通っており、今日はその哲学の授業があった。
今日の授業のテーマは「愛を考える」の第2回で、その中でギリシャ神話の神エロス(愛の神)の話しが出てきた。
古代ギリシャの哲学者プラトンの「饗宴」という作品においては、エロスは、貧乏の神である母と、富裕の神である父との間に生まれたとされている。エロスは、母から貧しさと欠乏を受け継ぎ、善いものや美しいものを絶えず追い求める。他方、父の才能を受け継ぎ、策士であり、勇敢でもある。
このように貧乏と富裕の中間にエロスが位置することにより、自分にはないもののよさを感じ、熱烈に追い求める一方で、目的にたどり着くための方策、工夫をこらし、思慮を欲して機略に飛んでいるという愛の姿を表現している。
このエロスの中間の話は、うまく愛の特徴を捉えているとともに、人間の精神のありようにもつながると感じた。
すなわち、既に何かを十分持っている者は、もはやそれを求めることはない。それを欠いているという自覚のない者もそれを求めることはしない。自らそれを欠いているという自覚を有する中間者だけがそれを求めることになるのだと思う。
哲学とは知を愛することと言われている。また古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、自分が無知であることを自覚することを哲学の出発点とした。
このソクラテスのいう自らの不知を自覚して、知を愛し求める中間者であることが善く生きることにつながるというようなことを今日の授業を聞いて考えた。