今回は、古代ギリシャ哲学とキリスト教の関係についてまとめてみた。
1 プラトンの哲学
古代ギリシャの哲学者(紀元前427〜347)で、イデア論に基づく哲学を説いた。イデアとは、理性によって認識できる真の実在で個物の原型であり、現実世界の個物はイデアの世界の模像という位置づけになる。現実の世界を超えたところに永遠に変わることのないイデア界を想定したことから二世界説とも呼ばれる。
2 アリストテレスの哲学
古代ギリシャの哲学者(紀元前384〜322)でプラトンの弟子。プラトンのイデアを否定して本質は個物に内在する(形相)と説いた。そして、プラトンのイデア界に相当する純粋形相はプラトンのような現実界を超越したものではなく、現実界と連続したものとして位置づけた。
3 プラトンーアウグスティヌス主義的教義体系
アウグスティヌス(354〜430)は、古代キリスト教会の最大の教父とされた人物。4世紀末キリスト教がローマの国教になったことにともない、キリスト教の権威を高めるために教義を体系化する役割を果たした。アウグスティヌスは、プラトン主義を取り入れ、プラトンの二世界説が「神の国」と「地の国」を歴然と区別する形で受け継がれて、イデアに代わるキリスト教的な人格神を設定した。神の恩寵の秩序と世俗の秩序を区別したのは、世俗の秩序であるローマ帝国との共存を図る意図があった。
その後、キリスト教会の役割が拡大し、教会が世俗支配に関わるようになると、これまでのプラトンーアウグスティヌス教義体系の2分論では説明がつかないようになってきた。
そこで、13世紀にトマス・アクィナス(1225〜1274)という神学者が、神学にアリストテレス哲学を取り入れて統合した。アリストテレス哲学によれば、神による恩寵の秩序と世俗の秩序はアウグスティヌスのように非連続の関係ではなく連続的なものとしてとらえられる。そうすると、教会が世俗の世界に関わってもむしろ当然ということになる。
5 プラトンーアウグスティヌス主義の復興
しかし、その後、世俗政治に足を踏み入れた教会や聖職者が腐敗堕落していった。15世紀末のルネサンス時代になると、教会から世俗政治から手を引かせて浄化をはかろうとするプラトンーアウグスティヌス主義復興の運動が起こり、これが16世紀のルターの宗教改革へとつながっていく。