50代早期退職者tudanumax の日記

50代で早期退職しようと考えた理由、心境など

考えることと習慣の関係について

 

 

受講している大学の哲学の授業では、授業終了後、ムードルという学習用ソフトに、講師に対して出された課題への回答を書く他、感想などを書くことになっている。

 

初回の授業の感想で、「物事を批判的に思考するという哲学的な思考が自然とできるようになりたい」旨の記載をした。意味としては哲学的思考を習慣にしたいという趣旨で記載したつもりだった。

 

しかし、後になって誤解を招く表現だったかも知れないと悩み始めた。

 

というのも、本来習慣というのは、考えずに行動するという意味が含まれているからだ。例えば、初めて料理を作ると段取りがうまくいかず時間もかかり大変疲れる。これが習慣化されると、考えなくても段取りを整えて、余り疲れずに料理を作れるようになる。習慣は落ち着いて生活を送るために必要な概念であるが、考えることとは相反する関係にある。

 

すなわち、哲学をするというのは、批判的に物事を考え直す営みであり、当たり前を疑って思考する。物事を当たり前に行う習慣とは相反することは、その定義からも明らかである。

 

再度頭を整理して考えると、哲学を起きている間、ずっと続けるというのは難しい。人の思考力には限界がある。これに対し、習慣は考えなくてもできるようにするもので、善い習慣を持っている人は落ち着いて毎日を送ることができる。日々同じことの繰り返しのように感じていても、時に考えさせられる出来事に出会う。哲学的思考のできる人は、このきっかけを逃さずに思考できる人ではないか。言いかえると、考えるきっかけを受け取れる人ではないか。古代ギリシャの哲学者のアリストテレスも哲学のきっかけに「驚き」を挙げている。そして、その考えるきっかけを作る前提に習慣があるのではないかと思った。

 

要は、哲学をする上で、考えることも、善い習慣を持つことも共に必要という結論に落ち着いた。そして、先の授業の感想の記載は、きっかけを逃さずに哲学的思考できるようにすることを目指すという意味であり、特におかしくはない。少し頭の中がスッキリしたような気がした。

 

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