今日は、早期退職後に聴講生として通っている大学の授業に出席した。今日の哲学の授業は、愛についての3回目で、テーマは友愛が取り上げられた。古代ギリシャの哲学者アリストテレスの書いた「ニコマコス倫理学」で論じられているテーマであり、同書をもとに講義が行われた。
アリストテレスは、「実際、愛する友なしには、たとえ他の善きもの全てを持っていたとしても、誰も生きて行きたいとは思わないだろう。」と述べ、一人一人が善き生を送る上で不可欠な条件として友愛を位置付けている。
そして、アリストテレスによれば友愛には3種類あるという。①人柄の善さに基づく友愛、②有用性に基づく友愛、③快楽に基づく友愛の3種類。
ただし、相手がもはや快くなかったり、有用でなくなったりすれば関係が途絶え、持続性がないから、②と③のこれら2種類の友愛は、付帯的なものに過ぎない。
そして、アリストテレスは、完全な友愛とは、①徳において互いに似ている善き人々同士の友愛であると述べている。なお、アリストテレスのいう善い人とは、単なるお人好しではなく、人間として充実した在り方をしており、そのことに喜びを抱いて日々の生活を送っている人をいう。
人柄はそう簡単には変わらないから、人柄に基づく友愛は持続性があることになる。
アリストテレスによれば、友愛を善い人同士の間で善を高め合う形で想定している。友愛には相互性があり、双方が高め合う関係があることには普遍性があるように感じた。
しかし、対等とは想定されていない人間関係の中にも友愛が成り立つのか?人は好意を抱く、あるいは共感できる人だけを愛するのか?という新しい疑問が生じる。それにはアリストテレスは答えていない。
アリストテレスは、一部の成人男性だけが市民とされたポリス社会を生きてきた人で、市民を対象に友愛を議論している。大きく立場の異なる人との友愛は想定していなかったものと思われる。
分断が広がっている現代社会では、立場の違う人とどうやって共同していくのかが課題になっている。この点については、更に次回の講義で掘り下げることになった。
哲学の世界では、正解を出すよりも、新たな問いを立てることが重視される。今回の講義も、友愛についての答えを出すというよりは、アリストテレスの著作を検討する中で、著者の考えの筋道を理解し、そこから生じる新たな問題点に気づくという流れだった。
後ろに座っていた大学生が今日の講義は面白かったと感想を述べているのが印象に残った。