50代早期退職者tudanumax の日記

50代で早期退職しようと考えた理由、心境など

プラトンの「ソクラテスの弁明」を現代の法律学の観点からみた感想

 

 私は、出身大学では法律学を学んだ。

 そのおかげで、哲学の授業で学んだ「ソクラテスの弁明」は、著名な哲学者であるソクラテスの裁判について書かれたもので、自分の馴染みがある分野で読みやすい。

 

 

ソクラテスの弁明」という本は、神々を認めず、青少年を惑わせたという理由で不敬罪で訴えられたソクラテス陪審員の市民に向かって自分の信念を述べる様子を描いたプラトンの作品である。

 

 

 この中で、ソクラテスは、アテネという名馬はまどろみやすいので目覚めさせるために自分は虻となって刺し続けてきた。市民と問答を続けた活動の意義を訴えた。

 また、市民の道徳的な堕落を厳しく指摘(君たちは〜恥ずかしくないのか。評判や地位のことを気にしても、思慮や真実のことは気にかけず、魂をできるだけ優れたものにすることには気を使わず心配もしていないとは。)した。その結果、陪審員たちの心証を悪くして死刑になってしまった。

 

 

 現代の法律学の観点で見るとソクラテスの裁判には2点問題があると思った。

 

 

 まず何が今回の裁判の審理の対象となる事実なのか明確でなかったことが問題だと思う。ソクラテスは何について反論すべきか分からなかったのではないか。

 そのためソクラテスは具体的事実ではなく、世の中の自分に対する一般的な評判について反論することを余儀なくされ、その一環として市民の道徳堕落を非難する先の発言に繋がってしまった。

 

 

 もう一つが「疑わしきは被告人の利益に」という利益原則が適用された裁判ではなかったことが指摘できる。

 本来ならソクラテスが神を信じていないということを相手方が証明しなければならない。相手方が問題とされるソクラテスの言動と、それが神の冒涜にあたると解釈されることが常識に照らして間違いないことを主張立証しなければならない。

 これに対し、ソクラテスはそのような言動はしていないし、少なくとも自分の言動は共同体のためであると解釈する余地があるのではないかと反論すれば足りる。ところがソクラテスの裁判は、ソクラテスの方が自分が神を冒涜していないことを積極的に立証させられている。

 

 

 要は現代から見ると、到底罪に問えないはずであるのにソクラテスは死刑になってしまったというのが法律学からみた感想である。

 

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