50代早期退職者tudanumax の日記

50代で早期退職しようと考えた理由、心境など

論理的な思考の潜む問題性についての考察

 

 

 

4月から通っている大学の授業で紹介された内山節の「自由論」(岩波書店という本は、これまで気づかなかったさまざまな視点を私に与えてくれる良書であると感じた。

 

今回は同書で取り上げられた「論理性の問題」についての議論を紹介したい。概略は以下の通り。

 

 

  優れた思想は、理論的な整合性や論理的な体系性を持っていると多くの人々は考える。学問や思想にとっては、論理的であることが正しさになった。そして人々は、その論理を証明するために、多くの言葉を費やすようになった。

 論理的であるためには、そこで用いる概念の抽象化が必要になる。用いる言葉の意味を明確で純粋なものにする必要がある。例えば「人間」という言葉は、いろいろな意味を含んでいてあいまいである。この「人間」というあいまいな言葉を用いて、論理的な考察をするのは困難である。論理的な考察のためには「人間」という言葉の意味を、つまり概念を明確にしなければならない。例えば社会主義思想は、「人間」を労働者と資本家とその他の階級というように区分し、資本主義を論理的に分析していく。

 ところがこうして概念の抽出化をすすめると、その概念のもっていたいろいろな意味合いが、切り捨てられてしまう。例えば1人の人間である労働者は、人間としてのいろいろな面を持っているのに、労働者とは自分の労働力を商品として売る人間である、という以外の全ての面を切り捨て、労働者という概念の抽象化がはかられる。

 その結果、論理的な考察は、その論理によってとらえられる以外のものを、見えなくさせてしまう。

 

 

論理的な思考は、その論理にとらわれている限り、見ることのできないものを発見するという精神の自由を失わせる欠陥があるとの指摘は、論理的な学問である哲学を勉強している自分にとって大きな発見だった。

 

私は、読書の際に、新しい発見があった場所に付箋を貼るのだが、この本に関しては、これ以外にも10ヶ所ぐらい付箋を貼った。ここまで新しい発見をさせてくれる本は珍しい。

 

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