50代早期退職者tudanumax の日記

50代で早期退職しようと考えた理由、心境など

震災の日を迎えて=生き残った者の責任

1月17日は震災の日。

 

当時私はまだ20代で兵庫県の実家の2階で、うとうとしながら寝ていた。

 

激しい揺れに反応し、必死に机の下に潜り込んだ。壁土のにおいが充満し、目の前は真っ暗。外に出ようとしても、何かに遮られて動けない。死の恐怖でパニックになり、後ろ足で蹴り続けるうちに幸運にも遮蔽物が動いた。1階が潰れており、2階から外に脱出することができた。

 

その後、近所の人の助けを借りて、1階で寝ていた祖父母の救出活動を行い、2人を病院に搬送したが、助けることは出来なかった。

 

祖父母の遺体を中学校の体育館に運んだ。次々と他のご遺体が運び込まれて体育館が一杯になった。祖父母の隣りに安置されたご遺体は、私よりも年下に見えた。もっと生きたいと叫んでいるように見えた。

 

震災の日を迎えると、いつもこの時のシーンが思い出される。祖父母が自分達の身代わりになったのではないか、自分は生かしてもらっているのではないか。生かされた命を全うする責任がある。

 

震災からもうすぐ30年近く経過するが、これまでの人生を振り返ると、生き残ったものとしての責任はある程度は果たせたのではないか。激務に耐え、精一杯背伸びをして社会に貢献してきた。結果としてうつ病になって休職したが、自殺は思いとどまった。復職して難しいポジションでの仕事を3年間やり切ることができた。途中で早期退職することになるが、まだ人生が終わったわけではない。

 

残された人生を、有意義なものにして、生き残った者の責任を果たして生きたい。

 

 

 

 

また1つの役割を終える

今日は、朝からリモートで一日中会議。

自分と同じポジションにいる九州と名古屋にいる担当者が仕事上の課題について意見交換をするというもの。職場の大きなイベントで、同期も複数参加していた。

 

いつもなら、自分も発言をするのだが、今回は冷めた目で参加者の発言を聞いていた。未来を語る発言を聴きながら、ここで発言することは、もはや自分の役割ではないと思った。

 

そして会議が終わり、また1つ自分の役割から解放された。

 

疲れて家に帰ると、妻が少し元気になっていて、ほっとした。

 

 

早期退職に向けての家族の不安

昨日ぐらいから妻の様子がおかしい。特に今朝は、感情をコントロールできず、泣いてばかり。

 

本人は、理由を言いたがらないが、少なくとも夫の早期退職が現実になってきたことへの不安も原因の1つだろう。

 

妻がこのように不安定になるのは2回目。前は、私がうつ病で休職し、職場を変わることになり、異動先の住まいをどうするか問題になった時。この時も私のメンタル不調が原因で、妻に多大なストレスをかけていた。

 

そういえば、当時小学校低学年だった娘も、私が休職し、職場の机を明け渡すことになり、その荷物が自宅に送られてきたとき、涙を流していたらしい。

 

家族のいる人にとって、早期退職は自分だけの問題にとどまらない、

 

そして家族の1人のメンタルが不安定な時に、他の家族が受けるストレスも大きい事を今回あらためて思い知らされた。

 

 

 

 

不安との向き合い方=今を大切にする

 

 

早期退職するには、将来への不安を乗り越えていく必要がある。この不安とどう向き合っていけば良いのだろう。

 

そもそも不安は、どうなるか分からないという未来に対して感じるものだと思う。そして、未来は今を大切にし続けた先にあるものではないか。そうであれば,今を大切にし、1日1日の満足感を積み重ねた未来がおかしなものになるはずがない。

 

結局は、今ここを大切にして生きることが最良の不安への対処法なのではないかという結論になった。

 

では、次に今ここを大切にするとは具体的にはどうすれば良いのだろう。単なる刹那主義では何も進歩せず、不安を将来に先送りしているだけだ。

 

一切過去を振り返ったり、将来を考えることをしないというものではないだろう。そうしないと、自分の現在位置や今すべきことが見えない。一切他人と比較しないというのも現実的ではない。

前回書いたバランスの問題になるが、もう少し具体化できないだろうか。今の自分には言語化するのが難しいが、しんどいことも楽しいこともあったが、今この瞬間を全力で生き、今日という日を精一杯生きたという充実感のようなものと考えると比較的スッキリする。

 

 

 

 

 

今を生きるのか、将来を見据えた生き方をするのか

今を生きるのか、将来を見据えた生き方をするのか。

 

自分はこれまで圧倒的に後者の生き方をしてきた。将来の目標を見据えて、それに向かって計画し、日々努力する。そういう生き方が人を成長させ、充実した人生を送れることになると考えていた。それで、安定し、ある程度の収入を得られる仕事につき、実力以上の出世もしてきた。

 

しかし、常に成長しなければならないという強迫観念にとらわれ、イライラし、土日も仕事のことが気になって心穏やかに過ごすということができない。今ここを生きるのではなく、過去の自分や他人と今の自分を比較し、あるべき将来の理想を追いかける毎日。

 

ついには、うつ病になり、これまでの生き方を見直すことを余儀なくされた

 

自分より下の年代、特に20代の若い人は、日々楽しむことを優先しているように思う。中には、現在よければ現状維持でよい、日々を刹那的に生きるという人もいる。しかしそこまでいくと、目の前のことに一喜一憂して、視野が狭く、成長もしない。将来の不安を先送りにしているだけともいえる。

 

うつ病になってからは、目の前の日々をもって大事にするようになった。ようやく、心の安定を図ることができるようになった。

 

結局どちらかの生き方が正しいというわけでなく、バランスが必要という当たり前のような考えに落ち着いた。

 

いずれにしても、今を犠牲にして将来を考える偏った生き方が癖になっていることを自覚して、早期退職後の生活を送っていきたい。

 

 

 

うつ病は心の風邪か?

一時期うつ病心の風邪であるというキャッチフレーズが広く社会に行き渡ったことがあった。

誰にでもなりうる病気であることを示す意義はあったと思う。

 

他方で誤解を招く言葉でもあった。うつ病は病院に行かなくても風邪のように簡単に治るかのように軽く考えてしまう。

 

うつ病を経験したものからすれば、両者は全く異なる。辛さの質は比較にならず、うつ病では自殺のリスクも高まる。症状が長く続き、先が見えない時があり、症状の持続性が異なる。一度うつ病になると、完全に元には戻れない上、再発のリスクも高い。

 

そして、私がそうであったように仕事を続けるのが困難になる場合もある。できるだけ早く病院に行った方が良い。しかもどの病院も混み合っていて、初診の予約がなかなかとれない。どうしようもなくなる前に、我慢せず、無駄かもしれないと思っている段階でとりあえず病院に電話することが重要だ。

 

 

 

 

早期退職に伴う不安との向き合い方

早期退職の不安にざっくりと3つあるように思う。

 

1つ目は、経済面で、収入がなくなり、貯蓄があっても出ていくばかりで不安というもの。

 

2つ目は、社会的地位を失う不安。無職と人前で堂々と言えるだろうか。

 

3つ目は、やることがなくなり、生きる張り合いを失うのではないか。

 

早期退職後の不安を払拭しようと、早期退職、セミリタイア、FIREに関する書籍、ブログ、YouTubeなどを見て参考にさせてもらった。これにより概ね2つ目までの不安は払拭できた。

 

未だに不安が解消できないのが、3つ目のやることがなくなるという不安。これまでの人生で仕事の占めてきた割合が大きいため、不安をなかなか払拭できない。

 

自分には50年近く続けている趣味があるほか、退職後にやろうと思っていることもある。うつ病で休職したときの仕事がない状態での生活の経験もある。なんとかなるという気持ちで今のところ落ち着いているのだが、モヤモヤは晴れない。

 

これからの人生が未知の領域に入る以上、避けては通れない。これがワクワク感になれば良いのだが、そこまでは割り切れない。このような答えの出ない事態に耐える力=ネガティブ・ケイパビリティが、今まさに必要なのだろう。