50代早期退職者tudanumax の日記

50代で早期退職しようと考えた理由、心境など

自由意志が認められるかNo.4法律学からの検討とまとめ

 

 

自由意志が認められるかの4回目になります。今回はこれまでの議論のまとめと、私が大学で学んだ法律学の見地からの検討をしようと思います。

 

まず、神経科学の世界では、以前のブログでも触れたように、私たちは無意識に行動していることを示す実験結果があり、自由意志の存在には疑問があることは否定できません。そうすると決定論(人間に自由意志はなく運命が決められている。)が有力ということになりそうです。

 

しかし、これまでの議論を踏まえると、脳神経科科学の見地から決定論を根拠づけるのも難しいと思われます。

 

すなわち決定論の根拠は、①精神の成立を可能にしているのは脳であり、脳は物理的実体である②物理的世界があらかじめ決定されている以上、脳も決定されていなければならない③脳があらかじめ決定されており、なおかつ脳が精神を成立させる上で必要かつ十分な器官であるならば、精神から生じる思考もまた決定されているというものです。しかし②については物理的世界があらかじめ決定されており予測可能かは断言できなくなっていることは既に触れました。そうであれば思考があらかじめ決定されているという③もあやしくなります。

 

まとめると、自由意志の存在には疑問があることは、脳科学の実験からも否定できません。しかし、自由意志が存在しないと断定するまでの根拠も乏しいように思います。少なくとも、物理法則の見地からは決定論にも疑問があります。自由意志と決定論の対立は、いずれが正しいという決め手がないというのが今のところの私の理解です。

 

では法律学ではどう考えているのか。

 

私が大学生の頃は、概ね「人は素質と環境に左右されながらも主体的に自己を決定する自由意志を有する」として、次のようにその理由が説明されていたと思います。すなわち、自由意志の存在は証明できないが、人は自ら決定しているという自由の意識を持っており、これをもとに自己の行動に対する責任を自覚しているから社会秩序が保たれている。自由意志は完全に証明されていないが、一般人の確信に基づいている分、決定論よりも合理性を備えている。

 

今回改めて調べて見ると、少なくとも現在の裁判所の法解釈では自由意志の存在を前提に法的責任を認めている点は間違いないと思います。

 

更に決定論を取りつつも自由意志を認めることは両立可能であるという考え方も近時有力のようです。「好きなこと、そうしたらいいと思ったことをする時には自由なのであり、このことは、好きなこと、したらいいと思うことに原因があるということが事実だとしても、この事実によっては変えられない。」というものです。

 

個人的には、法解釈としては、決定論を否定しつつ自由意志の存在を肯定する従前の解釈が相当だと考えています。もし自由意志を否定して決定論の立場に立つと、法的責任は、過去の犯罪行為に向けられた道義的非難ではなく、将来に向けての犯罪予防手段として位置づけられることになります。しかし、これは個人を犯罪予防の単なる対象としていることにならないか。それよりも、現行憲法の個人の自由と権利重視の価値と整合するのは、自由意志があることを前提に刑罰制度を組み立てる方向だと考えるからです。

 

今回4回にわたり自由意志を検討してみました。初めて哲学的な問題をある程度時間をかけてまとめる作業をし、その過程で新たな発見もありました。この問題は結構奥が深く、今回検討できていない哲学者の見解(例えばスピノザ)もあり、問題点をまとめきれていないのですが、ブログに書くことにより頭を整理するいいきっかけになりました。

 

 

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