50代早期退職者tudanumax の日記

50代で早期退職しようと考えた理由、心境など

脳科学と刑事裁判(著名な脳科学者の刑事裁判へのコメントに対する感想)について

 

 

 

先日、日本の有名な脳科学者である茂木健一郎氏が、ある刑事裁判で心神喪失を理由に無罪とした刑事判決についてコメントをしている記事を読み、考えたことをまとめてみました。

 

まず、問題となっている刑事裁判というのは、被告人が住宅街で市民5人を殺傷した事件で、事件当時被告人が心神喪失で責任無能力の状態にあったとして無罪とした一審判決を高等裁判所も維持したというもの。なお心神喪失というのは、法律用語で、精神障害により、物事の善悪を判断する能力又はそれに従って行動する能力が欠けている状態をいい、その場合は被告人に刑事責任を負わせることはできないとして無罪とすることが法律で定められています。

 

茂木氏は、この裁判結果について、「判決が世間の常識からずれていることは残念。心神喪失という概念は、脳科学から見ると根拠が脆弱であり、また医師による精神鑑定の正確性も疑わしい。刑事司法の概念、実定法の現代化は避けられない。」という趣旨のコメントをされたようです。

 

私は大学時代に法律学を専攻していたので、茂木氏とは異なり、証拠及び法律に従って判断したこの判決がおかしいなどというつもりはありません。おそらく精神科医が証人として出廷し、被告人の精神障害の内容、精神障害が犯行にどのように影響したかを証言し、一審の裁判員を含む裁判体は、その信用性を吟味して評価し、他の証拠も併せて検討し、これを法律に当てはめると、被告人は犯行時に心神喪失状態にあった疑いが残るとして無罪としたのでしょう。そして、この判断の正当性が高等裁判所でも認められたということです。法律と証拠に従って判断するのが刑事裁判であり、その結論が素朴な処罰感情に反するからといって非難するのであれば賛同できません。

 

しかし、茂木氏のコメントは、私に脳科学と刑事裁判の関係について考えさせるきっかけを与えてくれました。

 

刑事責任について、法律は、被告人が理性的な判断能力を持ち、自由に行為できることを前提にしています。そして、これまで裁判所は、精神医学などの諸科学の所見を精神鑑定という形で取り入れることにより判断することが可能であるという立場で運用してきたように思います。これに対し、茂木氏は精神医学の精神鑑定は脳科学の見地からすれば根拠が脆弱であり信用性に乏しい、刑事司法概念を根本から見直す必要があると主張されているのです。

 

まず、茂木氏が精神医学について根拠が脆弱と主張する点を検討すると、その主張の根拠がよくわかりませんが、一般的には受け入れられない考えだといわざるを得ないと思います。

 

それでは、茂木氏の専門分野である脳科学はどうなのか。私は、脳科学の専門家ではなく、現在の脳科学がどこまで人の心の問題を解明できているかの専門的所見は持ち合わせていません。しかし、少なくとも脳と犯罪の関連性については詳細なことまでは分かっていないと思います。脳画像を見たところで、その人の心の在り方や行動の仕方がどこまで分かるのか疑問です。

その意味で、茂木氏のコメントは論理の飛躍があり、そのまま賛成することはできません。

しかし、将来的には、脳科学研究が進み、これが法や道徳に与える影響が決定的なものになる時代がやってくるのかもしれません。本当に個人が理性的な判断能力を持ち、自由に行為できるのか。犯罪者の場合、脳の回路に原因があって犯罪を引き起こしたのではないか。刑務所に収容しても犯罪の原因は何も変わらないのではないか。そうすると茂木氏が主張されるとおり、現在の刑罰制度の前提が崩れるのかも知れません。そうすると、茂木氏のコメントは時代の先を見通したものと評価すべきなのかも知れません。

 

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