私は、早期退職後に大学に聴講生として通うようになり、大学で学ぶ意味について考えるようになった。
世の中の風潮は、何の「役に立つ」か露骨に答えを求める傾向にあり、目に見えて分かる形で答えを求める。そして、大学での学びについても、就職活動に直結させるようになり、大学がいわば職業訓練予備校化していると言われている。
この点は最近流行りの中高年層に対するリスキニングも同じ構造で、働き方の変化によって今後新たに発生する業務で役立つスキルや知識の習得を目的に、勉強してもらう取り組みのことをいうとされている。学び直しといっても、今の社会で手っ取り早く「役に立つ」技能を身につけることに主眼が置かれている。
これに対し、私が大学で学んでいる哲学は、上記の意味では役に立たないことになるだろう。
しかし、すぐに使えるような技能は、すぐに役に立たなくなる。しかもこれだけ変化の激しい時代なのだから、現在、職を得る上で役に立つと思われている技能も、すぐに陳腐化するだろう。
確かにこれだけ少子化した時代の大学の中には、一種の職業訓練予備校のような大学があってもいいのかもしれない。しかし、世の中には、例えば文系大学を軽視するような余りにも安易な実益重視の考えが蔓延しているように思う。やはり大学に高等教育機関としての存在意義があることは、維持されなければならないと思う。私のような50代早期退職者にとって、今さら大学で付け焼き刃の実学を学ぶことには興味がわかない。
この点、哲学は物事を批判的に捉える、物事の本質に立ち返って考え、安易に答えを求めず、答えよりも新たな問いを大事にするなどの特徴がある。実益思考とは反対方向の思考方法を身につけることができる。
私は、むしろこれからの若い人達こそ哲学を学ぶ必要性が高まっているのではないかと思っている。仕事の技能は、社会の中でもまれる中で身につければ良いことで、大学生のうちに土台となる思考を築くことの方が「役に立つ」と考えている。