50代早期退職者tudanumax の日記

50代で早期退職しようと考えた理由、心境など

職場とつながらない自由

大雪が予想されたので、早めに帰宅した。妻と焼き芋を食べながら、リラックスモードでTVを見ていた。その間、携帯電話をカバンに入れたまま隣の部屋に放置していた。

 

何気なく、携帯を見ると、職場から9回着信表示。何事かと思って電話したら、全く大したことのない内容。自分で判断できるだろうと言いたかったが、連絡して私の了解を取るように上から指示があったらしい。

 

24時間遠慮なしに電話して来る職場にため息が出る。年に数回は、夜中に叩き起こされたこともある。祝日ももちろん何か問題が起こると必ず電話がかかってきて指示を仰いでくる。

たまりかねて休暇中は電話しないようにしてもらっていたが、それでも数回はかかってきた。もちろん、何の手当も出ないし、周囲はそれを当たり前のように要求してくる。

 

職場とつながらない自由が欲しいとずっと思っていたことも早期退職を決意した理由の1つ。このまま職場の都合の良いように合わせて生きていく人生は、もったいない、後で後悔すると思った。

 

それにしても今日も早期退職の承認の連絡がない。

 

 

 

新たな悩みーなかなか下りない早期退職の承認

早期退職の申込みに対する承認がなかなか下りない。承認は、1月の下旬頃と言われていたので、今日ぐらい連絡が来ると思っていたが連絡がない。

 

だんだん不安になってきた。これまで周囲で承認されない例は余り見たことがないが、申し込みが殺到すると年齢順になるらしい。自分の年齢だと早期退職の枠から弾かれる可能性がゼロとはいえない。

 

早期退職による退職金の上乗せなどを前提に考えていたので、承認が下りないと退職後の生活が厳しい。しかし、いまさら仕事を続ける気にはなれない。

 

 

そのまま辞めると自己都合退職になってしまう。

 

新たな悩みごとが増えてしまった。

 

 

 

 

 

うつ病とジムとの出会い

私がジムと出会ったのは、うつ病で休職して5ヶ月くらいたった時だった。

復職するための体力に自信がなく、近くのジムに通い始めた。

職場に行くつもりで定休日以外は毎日通った。職員の人にも顔を覚えられ、声をかけてもらい、トレーニングのやり方をアドバイスしてもらうようになった。

大した運動はせず、マシンを1日2つぐらい順番に動かすほかは、ランニングマシンで30分ぐらいかけて、ややきつめのウオーキングをする程度。少し汗をかいてお風呂に入るのが日課になった。

軽い運動を定期的に行ったことが、うつ病の回復に最も効果的だった。ジム通いが復職につながったと思っており、感謝している。

 

その後、転勤になり、お世話になった系列のジムを探し、今も通っており、通算で6年ぐらいになる。仕事が忙しくなり、場所も少し遠くなったので、週に一回か二回ぐらいしか行けていないが、軽い運動後のお風呂でリラックスすることができる。

 

早期退職後は、一番最初に通っていた元のジムの近くにあるマンションを購入したので、また通うつもりだ。私にとって、健康維持にジム通いは欠かせない。

潰しがきかない職場の問題

買って1年ぐらいの洗濯機の調子が良くないので、修理に来てもらった。担当者は、年代は自分と同世代で、家電製品の深い知識を持っており、保証に関する詳しい説明もしてもらった。

 

この人なら仮に会社を退職しても、仕事の依頼がありそう。

 

それに比べ、自分の仕事は、30年近く続けてきたが、職場の存在なしには仕事ができない。

いわゆる潰しが効かない。

 

潰しの効かない職場には、転職する人が少なく、人材の流動性がない。今は、比較的採用が多かった50代や、40代後半の層が一番多い。本来これらの人達が本来管理職になるべきだが、この層で管理職のなり手がいない。

 

その原因は、仕事の量が増加したことに加えて、残業規制や育児休暇・介護休暇などで休む職員が増えていること、そして、そのしわ寄せが管理職に来ているという現実がある。年功序列でさほど給料が変わらない、仕事はきつくなる、パワハラ、セクハラと言われるのを恐れて部下に気を使う、異動も多くなるといったマイナス要因を考えると、管理職を希望しないというのだ。

 

そのような姿勢で仕事をしている以上、十分な仕事ができずに会社にしがみつく40代、50代が増えるのはやむを得ない。ますます、管理職や一部の仕事ができる人にしわ寄せがくることになる。

 

仕事全体がうまく回らないと、さらに上から課題を突きつけられるが、それを自分ごととして考えるのも管理職であり、大半が他人事。そのような孤独感を何度も味わったことも、私がうつ病になった原因の1つだと思う。

 

人材の流動性が乏しい日本社会において、年功序列、終身雇用制度は、一部の人たちの犠牲のもとで何とか成り立っており、もはや限界に来ているように思う。

 

 

 

 

 

この父ありて

「この父ありて 娘たちの歳月」という本を読み始めた。

そして、本のタイトルにある自分と父との関係を改めて考えてみた。

私の父は学者。真面目で温厚な性格で、怒られた記憶がない。1つ質問すると、すぐには答えてくれず、詳細に調査して10倍になって回答がかえってくる。頼まれたら断れない性格で、人の嫌がるような仕事を引き受けてしまう。

 

父は、定年直前に大きなプロジェクトに関わり、かなり無理をしていた。自分がやらないと仕方ないとも言っていた。

 

その後、ストレスで体調を崩し、現役のまま胃がんで亡くなった。

 

頼まれたら断れないとか、他人に気を使い過剰に頑張ってしまうところは父の遺伝子を引き継いでいる。他方でそのような父の姿を見ていたので、心身がボロボロになってまで仕事を続けようという気持ちはなかった。

 

ただ、私には娘がおり、私の生き様を見られていることは事実。自分が早期退職することが娘の将来に悪影響にならないか不安は拭えない。

 

自分に今できることは、最後まで職業人としての誇りを持って3月末まで誠実に仕事をやり抜くこと。その姿を見て娘がどう感じるかは分からないが。

 

 

 

 

職場に対する感謝

今日は職場で外部からの有識者を招いた協議会の司会進行を務めるという大きな仕事があった。

 

元々人前で話すことが苦手で、気の重い仕事の1つだった。

 

今回は、このような機会は今度が最後になると思い、事前にいろいろ考えた。そして、本来このような職場で、このような役職にいなければ出会えない人達から、未知の話をできるだけ多く聞き出したい、まずは司会進行する自分が興味を持って報告者の話を聞こうと思った。

 

協議会が始まると、うまく進行させたいという色気は無くなっていた。冷静に会議を俯瞰的に見ることができた。報告者の意図を十分把握し、自分の問題意識を参加者にぶつけながら、議論を広げていくことができたように感じ、ある程度納得できる仕事ができた。

 

今の仕事において果たすべき役割や地位が、引っ込み思案なところのある自分を成長させてくれたように思う。その意味では、今の職場には感謝している。

自分の美学=退職前の有給休暇

本日午後から有給休暇を取った。うまくスケジュールが空いたことと、ここ数日疲れが溜まっていて、メンタルが不安定になりつつあると感じていたからだ。

 

早期退職した人のブログなどを見ると、退職前の1ヶ月くらい前から全て休暇をとり、使い切って辞める人も多い。有給は、当然の権利行使という考え方だ。

 

しかし、私は、辞めるにしても、周囲に迷惑や不快感を与えたくない。そもそも有給は、そのようにまとめて使うことを想定している制度なのだろうか。健康的な生活を維持しながら仕事をすることが前提で、適宜使用していくことが通常ではないか。そうしなければ、間違いなく、周囲にしわ寄せがくる。

 

自分だけ良ければ良いという考えは自分の美学に合わない。退職まで、淡々と仕事をし、次の人にスムーズに引き継いでいけるようにしたい。